酒呑童子首塚・首塚大明神 戻る
京都府老の坂首塚大明神
大明神への道 神社 塚全景
みなさまのリクエストにお答えして酒呑童子首塚写真を公開いたしま〜す。急遽作りましたページですので充実していません。時間ができたらも少し何とかしますね。絵本を作った時の取材写真ですので少し古いものです。現在はもっと整備されているかもしれません。このお話の敵役は安倍清明ですからね。も少し見直されてもいいと思いますけれどね。
首塚大明神 脇の石碑より
由緒
平安時代初期。(西暦八百年頃)丹波の国大江山に本拠を構えた酒呑童子が、今日の都へ出て金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので、人々の心に大きな不安を与えていた。天子(天皇)は源頼光等四天王に命じ酒呑童子とその一族を征伐するよう命じられた。源頼光等は大江山の千丈ヶ嶽に分け入り、苦心の後 酒呑童子とその一族を征伐し酒呑童子の首級を証拠に京の都へ帰る途中この老の坂で休憩したが、道端の子安の地蔵尊が「鬼の首のような不浄なものは天使様のおられる都へ持ち行くことはならん」と云はれたが相模の国の足柄山で熊と相撲をとったという力持ちの坂田の金時が証拠の品だから都へ持って行くと言って酒呑童子の首を持ち上げようと力んだが、ここまで持ってきた首が 急に持ち上がらなくなった。そこで一行は止むを得ずこの場所に首を埋めて首塚をつくったと伝えられている。酒呑童子が源頼光に首を切られるとき、今までの罪を悔い、これからは首から上に病をもつ人々を助けたい、と言い残したと伝えられ首塚大明神は首より上の病気に霊験があらたかである。
昭和61年3月 宗教法人 首塚大明神社務所
首塚大明神にあった木札より
首塚大明神宗教法人認可の件
昭和59年10月11日付をもってこの神社は「宗教法人首塚大明神」として京都府知事より認可がありました。今後は認可を受けました宗教法人首塚大明神の規則に添って宗教活動を行いますので宣教と御支援の程お願い申し上げます。
昭和59年10月13日 宗教法人首塚大明神 役員一同 各位殿
…ということで、宗教法人になっておりました。不思議ですね〜。でも、淋しすぎるよ「首塚大明神」。タクシーの運転手さん、「首塚神社へ」といってもわからなかったもの。「頼政の首塚ならわかるけどねー」。……違う違う!会社からの無線でやっとたどり着いたんですよね。そばにモーテルがあったりして、それが神社に入る目じるし。いや〜、もう。タクシーの運転手さんも苦笑い。でも、首塚神社は上までつきあってくださいました。で、「ほぉ〜」っと感心していました。
郁丸作・「絵草子 酒呑童子」ラストページより 「絵草子 酒呑童子」解説ページへ
…ただ、この地にあって心残りはただ一つ、妻の稲成姫と子どものことです。姫は近隣の人々にかくまわれて私の子どもを産み、「鬼童丸」と名づけたと風の便りに聞きました。いま、ふたりの行方はわかりません。願わくば空をゆく雲よ、吹き行く風よ、愛しい妻子の行方を、どうか知らせてほしいのです。
実は私の絵本「絵草子 酒呑童子」は首塚に酒呑童子の霊があらわれて語りだす…。という設定になっております。この本、売り切れ間近ですので、最終ページの一部を紹介いたします。興味をもたれた方はぜひ、お求めください。「AMAZON」からも申し込めます。