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吹雪の夜のヤサブロバサ

                                                    高橋郁子

はじめに

魚沼地方では、吹雪の晩になると「ヤサブロバサが来る」と言い習わしていたようである。※「ほ〜ら、権現堂の弥三郎婆が弥彦の婆のところに歳暮に出かけるぞ〜、泣く子をさらって手持ちにするなんが、早黙れはや黙れ」(大嶋月庵・画文集http://www2.uonuma.ne.jp/getuan/yasaburo/yasaburo.htmlより)

ヤサブロバサというと、私は弥彦村の法光院にある妙多羅天を連想していたが、魚沼での話を聞いているうちに、(弥三郎→風の神である風の三郎)(ヤサブロ婆→遠野物語に登場するサムトの婆)と、風に関わりのある話ではないかと思い、他ではどうだろうと調べてみたところ、全国的な広がりを持っている伝承だということに気づいた。『日本昔話通観』(同朋舎)から、全国のヤサブロバサを要約してみた。

2 全国のヤサブロバサ

(1)   青森県

馬方の弥三郎が夜中に宮の前でむじなに襲われる。弥三郎の婆という頭領の手を切る。弥三郎が腕を拾って帰ると、婆が「腕を見せろ」と言う。見せると、「おれの腕だ」と言って自分の腕に付け、一目散に逃げた。(北津軽郡金木)

(2)   山形県

 男が棒をついて雨に濡れながらあとをついてくる婆を連れて帰って泊めてやる。婆は感謝し、大阪の鴻池に嫁に行く途中の娘をさらって嫁にする。男は娘の持参金を元に金持ちになった。(米沢市大白布)

(3) 福島県

弥三郎が山へ仕事に行き、狼を集めた山んばに襲われ、腕を切り落とす。家へ帰ると母親が「これこそ、おれが腕だ」と、破風を蹴破って逃げる。腕をくっつけるため、天寧寺の湯に入る。十二月の八日は荒れ日で、腕を湯に入ってくっつけ、腕を持ってから飛ぶ。それで、目がたくさんある豆とおしを魔よけとして、門に下げる。(犬沼郡金山町沼沢)

(4) 新潟県

@弥三郎の家(善根の久木太部落)の人のよい老婆が、ある日突然性格が変わる。弥三郎が夜おそく帰宅する途中で狼に襲われたので木に登ると、狼は「頭の弥三郎婆を連れてこよう」と言って鬼婆を運れてくる。弥三郎が鉈で鬼婆の額を切りつけると、鬼婆は狼たちと逃げる。弥三郎が帰宅すると、老婆は額に鉢巻をして寝ている。翌朝、婆が赤ん坊を食う。老婆は鬼になって破風からとびだし弥彦山の岩穴にたて寵る。弥三郎が老婆の部屋の床板をはぐと、老婆は鬼に食い殺されていた。弥彦の妙多羅天はこの弥三郎婆を祭ったものだ。(柏崎市)

A八石山下善根村の久木太というところにいた弥三郎婆が山犬や狼などを手下として、漆山で子供やおとなを食ったりしていた。ある年の十一月の末、弥三郎が柏崎からの帰りに漆山にさしかかると、恐ろしい婆が山犬や狼を連れて追ってくる。弥三郎が大木に登ると婆も登ってくるので、鉈で婆の額をなぐりつけると、婆は逃げ去る。弥三郎が帰宅すると、母は「柱で額を打った」と傷をしている。子供の姿が見えないので聞くと、「味噌かと思ってなめた」と言い、鬼の正体を現わして破風を抜けて八石山へ逃げる。その後婆は岩屋に住み、赤い日傘や衣を見るとうれしがって棺を奪い、死体を食った。善根村飛岡の浄慶寺の住職が青い日傘と衣とに改めたので、その後は棺を取られなくなる。それでこの寺では、今でも青い日傘と衣を使う。婆はその後西蒲原郡弥彦のほうへ飛び去ったので、そこに婆を祭った堂を建てた。(柏崎市)

B女久木太村の男が狐にねらわれ木の上に逃げるが、一匹の狐が上がってくるので銘で手を切り落として家に帰る。翌朝母親が「鬼の手を持ってきたか」と息子に聞くので、息子は戸棚をあけて手を見せると手をつかんでとび去る。婆は人を食べるので、村中の人が退治に行き、殺して二か所に埋めると、「いっしょになりたい」と毎日地震をおこす。占者が占うと、「死体を掘り出して、弥彦山へミオタロウ婆さんとして祭ればよい」ということなので祭る。婆の家の人が寝床の下を見ると骨がたくさんあった。婆が煙出しから逃げたのでその家には煙出しがない。(柏崎市)

C弥三郎という猟師。猟に出て何者かに首筋を掴まれその腕を斬る。家に帰ると母は病気で寝ている。翌朝母はいない。寝間から血跡をたどって行くと怪物を斬った処までつづく。弥三郎は母が鬼女であったことを知る。(西蒲原郡分水町) 

D弥三郎が田んぼで働いているところへ狼が現れたので、逃げて松の木に登る。狼は次々に肩の上に上がるが届かず、一匹が「弥三郎婆さんを頼もう」と言って走っていく。西のほうから黒い雲が来て雲の中から手が出て弥三郎の首筋をつかまえる。弥三郎は鉈でその手を切る。弥三郎が腕を持って家に帰ると、婆は鬼婆の姿になり、腕を切り口につけて逃げる。婆の床の下を見ると、鳥獣や人間の骨があった。 (南蒲原郡蒲巻村) 

E婆さとひとらあんにゃがすむ家へ大変荒れる晩に火にあたらせてくれ、という婆が入ってくる。話をしているうち、「おう、こんちは、嫁がいねねかや」「おらどこは、貧乏もんで、嫁の来てもねし、くれてもね」「そうか、ほうしゃおらが、いい嫁を世話してやるど」と言い、大阪の鴻池の娘をさらってくる。番頭が迎えに来たが、娘が抵抗したので鴻池の親が家も、米蔵も建ててくれる。(古志郡山古志村虫亀)

F弥三郎婆が、孫の頭を剃っていて出た血をなめて味をしめ、「食いたいほどかわいい」と言い、夫婦が「食えるなら食え」と言うと、孫を食う。山へ逃げた弥三郎婆は鬼となり、山越えして年貢を納めにいく村の使者を食い殺す。困った村人は、村一番の貧乏人の男の子を使者とする。婆が男の子に重箱いっぱいのおはぎを持たせたので、その子は弥三郎婆におはぎをやって難をのがれる。その男の子が成人すると、弥三郎婆はおはぎの礼にさらってきた鴻の池の娘を男の子の嫁にする。鴻の池では捜し出して連れ帰ると、そのつど弥三郎婆がさらっていくので、鴻の池二人を結婚させ、男の子の家は裕福になった。(上越市)

Gおやじが浦川原の川むこうのアリシマで木に登ってうるし掻きをしていると日が暮れ、山婆が来て、おやじをつかまえようとする。おやじが山婆の腕を切り家に帰ると、母親の婆が苦しんでいたので、切りとった腕を出すと、婆はその腕をつかみ、「俺の腕だ」と言って高窓からとび出す。それ以来、その村では家に高窓を作らなくなった。(中頚城郡吉川町)

H猟師の子供がいなくなるが猟師の母親は平気でいる。猟師が山小屋にいると大きな手がつかみかかってきたので、山太刀で切り落とす。窓からとび出して逃げる。その後も付近の子供が行方不明になるので、堂を建て婆を祭ったのが弥彦神杜の裏の妙多羅天である。(柏崎市)

I牧野の百姓弥三郎の母親。夜になると床下に隠した死体を食う。鎌で切る。鬼婆は弥彦の宝光院で死ぬ。煙出しをつげない。(東頸城郡安塚町)

J弥三郎の家の婆が孫の守りをしていて、あまりのかわいさに食べてしまい、それから子供を食べて鬼婆となって国上山に住み、子供をさらう。与板という若者が稲刈りをしているのを弥三郎婆が見つけて食いにくるが、若者が「はだしでは冷めたいから」と草履をくれるので食えない。若者には嫁がないというので、弥三郎婆は大阪の鴻池の娘をさらって若者の嫁にする。子供が生まれ鴻の池に里帰りし、お金をみやげにもらって、若老は大金持ちになり、大阪屋と名づけた。与板の大阪屋といえば、良寛と信仰のあった三輪家である。(十日町市)

(5)石川県

元禄初期の頃、吉村の中下に又右衛門という八十歳余りの爺が婆に死別して一人で募らしていると、婆に化けてやってきた猫が後妻におちつく。婆は毎晩夕食後に出かけ、鹿島神杜の境内で猫が大勢集まり、歌いながら踊っている。西念という僧が、この声を聞いて様子をうかがう。人の匂いに気づいた猫が追いかけてきたので、西念は木に登る。猫も登ってきたので西念が懐剣で切りつけると、猫は落ちて逃げ去る。血の跡をたどると、中下の爺の家に続いていたので、西念は婆の様子を尋ねる。「風邪をひいて寝ている」と言うので見舞おうとすると、婆はことわる。西念は爺に生杉の葉を持ってこさせて家の戸を閉めていぶすと、婆は猫の姿に変わって煙出しからとび出し、黒雲に乗って西空に消えた。猫の行先きは那須の北の湯。吉村の者が行くと変事が起こるので北の湯には行けない。(石川郡玉川村)

(6)長野県

@富山の薬屋が、毎年弥彦の弥三郎という人の家に泊めてもらっていた。春になり、弥彦へ行くと、峠で山犬が出た。木に上ると山犬が、「弥彦へ行って、弥三郎頼んでこい」という。でっかい赤いネコが、ガオーンガオーンといいながら、薬屋を食べようとした。薬屋は、ネコの手を切る。弥彦の弥三郎どんのとこへ行くと、婆が具合を悪くして寝ている。薬屋が赤ネコの手を出す。婆はその手をくわえて、寝間の窓をおっぱずして逃げて行く。逃げてから、弥彦の村を荒らすので、お上へ願って神社建ってもらう。それは弥彦の弥三郎の家のネコで、いまは神さまになっている。(下水内郡栄村泉平)

A山伏が越後の弥彦峠を通りかかり、狐に襲われる。狐は山伏が手におえず、「弥三郎婆さを頼もう」と逃げ、山伏がやって来た顔の丸い婆を刀で切りつけた。山伏が弥三郎の家を訪ねると、婆の具合が悪い。「祈祷してやる」と言って婆を殺す。婆は正体を現わし三毛猫となる。床の下に婆の骨があり、飼い猫の三毛が婆を食って化けていたことがわかる。(小県郡武石村)

3 新潟県内のヤサブロバサ

 前述のようにヤサブロバサの伝承は各地に残るが、新潟発祥と伝えられているものも多い。これはどういうことなのであうか。新潟県内の伝承を大きく分類してみる。

@西蒲原郡…弥彦村宝光院の妙多羅天女にまつわる話

  妙多羅天女は一説には弥彦神社造営の鍛匠黒津弥三郎の母といわれる。また、一説によると佐渡に住む老婆が猫と遊ぶうちに化け猫の姿となり弥彦に飛び去って「猫多羅天女」として祀られたものだともいう。

A三島郡…気のいい男に嫁を世話する。嫁は大阪の鴻池から連れ去られた娘である。

B北魚沼郡…広神村権現堂山にまつわる話。

嫁に死なれ、孫も死んでしまい、可愛さ余って孫を食べてしまい、権現堂山に住む鬼婆となった。

C南魚沼郡…吹雪の夜に子どもをさらいに来るヤサブロバサの話。

D東頚城郡…切られた腕を取り戻し、破風を破って逃げる話。

この五つに分かれるようである。@の伝説は東北にも伝播しているようで、山形県高畠町では、高畠の老婆が息子である弥三郎のために狼使いの鬼婆となり、新潟県の弥彦村へ去った、という伝説が残っている。

おわりに

  弥三郎に腕や額を切られ、弥彦村の法光院に祀られて神となったバサと、魚沼の村々で聞くことができた「風に乗って」飛び、「家の中に吹き込む雪がバサの白髪のようであった」という、得体の知れない姿のバサは違う伝承であるような気もする。腕を取り戻し、破風を破って逃げるところなどは茨木童子を思わせるし、狼を引き連れて人を遅い、腕を切られるというエピソードは猫又にも通じるものがある。そうかと思えばやもめの仲人もする。弥彦村にはヤサブロバサの木という木も存在し、奪衣婆のような性格も兼ね備えている。共通点は「悪い子になるとヤサブロバサがさらいにくるぞ」と子どものしつけのために利用されていたことであり、最終的には神として祀られている。神聖な存在でありながら妖怪のように扱われる点は、仏教以前の古い信仰を守る巫女を山姥として妖怪のようにさげすんだ山姥伝承の変形のようでもある。ヤサブロバサは風をつかさどる巫女のような存在であったのかもしれない。

 

「吹雪の晩のヤサブロバサ」(新潟の生活文化9/新潟県生活文化研究会/2002 掲載)