北魚沼郡広神村では次のような伝説が伝えられている。
弥三郎家は代々弥三郎の名を襲名する猟師で、あるとき、弥三郎は吹雪の山に行って帰ってこなかった。嫁は切なくなってあとを追って死んでしまった。あとに残された婆さは、残された乳飲み子を抱えてもらい乳をして歩いたが、孫はひもじがって泣いて死んでしまった。婆さが孫を食っているところを見た村人は、婆さを村から追いだした。婆さは権現堂の岩穴にすんで、白髪のざんばら髪に口が耳まで裂けたおっかねぇ鬼婆になって、吹雪にのって空を飛び、村の子どもをさらっていくという。この婆さは妙多羅天女となったとも、弥彦の弥三郎婆とは違う婆さだともいわれ、弥彦のヤサブロバサと友だちだとも言われている。
このほかに、小千谷市金倉山にも婆さがおり、小千谷市の照専寺で改心したという。
全国的な分布と伝承
青森県(北津軽郡金木)
馬方の弥三郎が夜中に宮の前でむじなに襲われる。弥三郎の婆という頭領の手を切る。弥三郎が腕を拾って帰ると、婆が「腕を見せろ」と言う。見せると、「おれの腕だ」と言って自分の腕に付け、一目散に逃げる。
山形県(米沢市大白布)
男が棒をついて雨に濡れながらあとをついてくる婆を連れて帰って泊めてやる。婆は感謝し、大阪の鴻池に嫁に行く途中の娘をさらって嫁にする。男は娘の持参金を元に金持ちになった。
山形県(高畠町)
戦国時代、弥太郎という男が天女を妻にし、弥三郎という子が生まれる。弥太郎は戦死し、弥三郎は旅に出たまま帰ってこない。そのうち、嫁が死に、孫は百日咳にかかって死ぬ。天女だった弥三郎の母は悪鬼となり、軍資金を集めていたが、帰ってきた弥三郎はそうとは知らずに母の腕を切る。母は弥三郎に今までの話をし、雲を呼び風を起こして越後の弥彦へと飛ぶ。
福島県(犬沼郡金山町沼沢)
弥三郎が山へ仕事に行き、狼を集めた山んぱに襲われ、腕切り落としす。家へ帰と母親が「これこそ、おれが腕だ」と、破風を蹴破って逃げる。腕をくっつけるため、天寧寺の湯に入る。十二月の八日は荒れ日で、腕を湯に入ってくっつけ、腕を持ってから飛ぶ。それで、目がたくさんある豆とおしを魔よけとして、門に下げる。
石川県(石川郡玉川村)
元禄初期の頃、吉村の中下に又右衛門という八十歳余りの爺が婆に死別して一人で募らしていると、婆に化けてやってきた猫が後妻におちつく。婆が毎晩夕食後に出かけるので不審に思った爺が後をつけると、鹿島神杜の境内で猫が大勢集まって、歌いながら踊っている。ある日、西念という僧が、この声を聞いて様子をうかがうと猫が追いかけてきたので、西念は木に登る。西念が懐剣で切りつけると、猫は落ちて逃げ去る。血の跡をたどると、中下の爺の家に続いている。西念は爺に生杉の葉を持ってこさせて家の戸を閉めていぶすと、婆は猫の姿に変わって煙出しからとび出し、黒雲に乗って西空に消える。猫の行先きは那須の北の湯。吉村の者が行くと変事が起こるので北の湯には行けない。
長野県(下水内郡栄村泉平)
富山の薬屋が毎年弥彦へまわって行って、弥三郎という人の家に泊めてもらっていたが、弥彦へ行く途中の峠で山犬が襲ってきたので木に登って逃げると、山犬が「手におえないから、弥彦へ行って、弥三郎頼んでこい」という。すると、でっかい赤いネコが上がってくる。薬屋は猫の手を切る。一週間後に弥彦の弥三郎の家へ行くと、いつもいるお婆さんも、赤猫もいないので、家の人に聞くと寝ているという。薬屋が切った猫の手を出すと、その手をくわえて、寝間の窓をおっぱずして逃げて行ってしまう。逃げてから、村を荒らしたから、村中の衆が困っちまって、そうして、ネコが暴れて困るので、お上へ願って神社を建てたという。すると、ネコは出なくなる。そのネコは弥彦の弥三郎の家のネコで、今は神様になっている
長野県(小県郡武石村)
山伏が越後の弥彦峠を通りかかると狐が昼寝をしているので、ほら貝をその耳に当てて吹くと狐は驚いて逃げる。急に日が暮れ、峠の下から葬儀の行列が来る。山伏が木に登ると行列は木の下で火葬をする。何かが木に登ってきて山伏の足を押えるので刀を振りまわす。行列の者は「弥三郎婆さを頼もう」と逃げ、やって来た駕寵の顔の丸い婆が登ってくる。山伏が刀で切りつけると落ち、周囲が明るくなる。山伏が弥三郎の家を訪ねると、「婆が加減が悪い」というので、「祈祷してやる」と言って婆を殺す。婆は正体を現わし、三毛猫となる。床の下に婆の骨があり、いなくなった飼い猫の三毛が婆を食って化けていたとわかる。
鬼・鬼女との関係
鬼…信仰の山を転々とする。
ヤサブロバサの信仰の中心となっている弥彦山系には、国上山があり、国上山の国上寺では酒呑童子が稚児をしていた。酒呑童子は国上寺から弥彦神社へ書簡を運ぶ役を務めており、弥彦山系にある稚児道を通って、弥彦神社へ行き来していた。酒呑童子は国上寺を追われてから、黒姫山、戸隠山、比叡山を転々として大江山に至っている。
ヤサブロバサも鬼となって追われてから、伝説では佐渡の金北山、古津(新津市)、加賀の白山(石川県)、越中立山(富山県)にも飛行して悪業の限りを尽くしたという。
手を切られ、取り戻して破風から逃げる。
退治しようとした人物に近づき、切られた手を取り戻して逃げる、という点。これは、渡辺綱に手を切られ、姥となって手を取り戻した茨木童子の話と通じるものがある。破風から逃げるというのは何を暗示しているのだろうか。
安産や子育ての信仰が集まる。
子どもを食べた恐ろしい人物でありながら、改心して子どもを守る妙多羅天女として信仰を集めている。新潟県の頚城地方から石川県などに山姥伝説があるが、つねに幼子を伴い、遊んでいた。これは、長野県の諏訪大社の祭神とその母神が転々とした地とも重なり、諏訪の母神は安産の神となっている。 孫を食す、または殺すという点は、福島県に伝わる安達が原の山姥の伝承にも通じるものがある。高畠の弥三郎婆伝説は折衷型のようである。
参考文献* 日本昔話通観 (1981〜)
猫との関係
南魚沼郡塩沢町の雲洞庵には、火車落しの袈裟という袈裟が伝えられている。火車は葬式の列を襲う猫又で、黒雲に乗ってやってきて雲の中から手を伸ばして棺の中から死体を奪っていく妖怪である。この事件を「北越雪譜」で報告した鈴木牧之は、滝沢馬琴の随筆集に「雷獣」の絵を寄せている。これは、雷になると喜んで走り回る獣だといい、どことなく猫に似ている。
「猫多羅天女の事」(佐渡には越後と違う妙多羅天女のいわれがある。)
同国(越後)弥彦のやしろの末社に猫多羅天女の禿とてあり。此はじめを尋ねるに、佐渡国雑太郡小沢といへる所に、一人の老婆ありけるが、折ふし夏の夕つかた、上の山に登りて涼みけるに、ひとつの老猫きたりて、ともにあそびけるが。砂上に臥まろびて、さまざまとあやしきたはむれをなせり。老婆もうかれて、かの猫の戯れにひとしく、砂上に臥転びて是を学びしに、何とやらん総身涼敷、快よきほどに。又翌晩もいでて此業をなしてけるに、又化猫来たりて狂ひ、ともにたはむれつつ、斯くのごとく数日におよぶに、おのづから総身軽く、飛行自在に成りて化通を得て、天に溯し地とはしり、たちまちに隅目(ますみだ)ち、はげかしらと成り、毛を生じ、形成すさまじく、見る人肝を消して噩(がく)に絶たり。かくして終に発屋にて虚空にさる。まのあたり鳴雷して山河も崩るるごとく、越後の弥彦山にとどまり、数日霊威をふるい、雨を降らしぬ。里人時に丁(あた)って難渋するにより、これを鎮めて、猫多羅天女と崇む。これよりしごとに一度づつ佐洲に渡るに、此日極めて雷鳴し、国中を脅(おびや)かすこそ情(つたな)き景迹なり。
(「奇談北国巡杖記」鳥翠台北 著)文化三年頃
風との関係
風の三郎さま
新潟県南魚沼郡では、風の神様が信仰されている。神様は「風の三郎さま」と呼ばれている。お祭りは八朔、9月1日に行われているところが多い。二百十日や八朔の風は、農作物の生育を大きく左右する。人々は風の三郎さまに願い、風が適度に吹くことを祈ったのだろうか。
師走八日。八日荒れ。吹雪。風とヤサブロバサ
ヤサブロバサは、風の吹く日にあらわれる、と伝承されているところが多い。風に乗ってやってくる、飛行自在、とも言われている。具体的に、風とヤサブロバサの関係を考えてみる。
「佐渡の水津村野浦の背後にある二つ才の神という高い頂に毎年11月になると、弥三郎婆が越後一の宮を祭る弥彦山から暴風雨を土産に持って佐渡に渡って来ると今に伝えている」(高志路7-1「佐渡の弥三郎婆」青木重孝)
伊藤治子氏は、(新潟産業考古学会26.27号「佐渡の穴窯と弥三郎婆」)で、佐渡に自然通風による古代の製鉄炉が稼動していたと推測し、弥彦山から吹き降ろす風を利用していたと仮定する。そして弥三郎婆の暴風雨こそ、製鉄に関与したものには土産と呼ぶべき待望の風であったとしている。そして、その穴窯の終焉により、ヤサブロバサが妖怪になってしまったと仮定している。
この説をとれば、弥彦とヤサブロバサの関係がうなづけるような気がする。 |