平安時代、平氏と源氏の戦いは終わり、平氏は敗北しました。
それまでは、皇室が政治を行っていましたが
その後は、源氏が政権を握り、源頼朝が鎌倉幕府を開きました。
承久元年、源頼朝の二人の子どもがなくなり、源氏の血筋が絶えました。
後鳥羽上皇は政治の権力を朝廷に戻そうと多くの兵を集め、
代わって政権を握った北条義時を討とうとしました。
これを承久の乱(1221)といいます。
上皇の軍は鎌倉幕府の大軍に破れ、
後鳥羽上皇は隠岐の島(島根)に流されました。
後鳥羽上皇の皇子の順徳上皇は、佐渡に流されることになりました。
順徳上皇は勉強熱心で天皇家の決まりに詳しく、
決まりごとをまとめた本を書いたり、
歌人としても有名で、歌の研究書を書いた人でした。
順徳上皇は、佐渡に渡る前に
ひそかに親鸞聖人の布教の地である鳥屋野を訪ねました。
鳥屋野の人たちは、順徳上皇を慰めるために
聖人から教えられた「鳥屋野六階節」を踊りました。
順徳上皇の従者はその踊りに京風の手振りを加えて踊りを改良しました。
上皇が佐渡へ渡る前夜の承久4年(1222)5月8日には、
村中の者が家から灯篭を持ち出し、鳥屋野六階節を踊って
上皇との別れを惜しみました。
今でも5月8日の鳥屋野神社の春大祭は「灯篭祭り」を行っています。
鳥屋野六階節は盆踊りとして西方寺で踊られています。
おらが鳥屋野は住みよいところ
尋ね来やんせ 都人
春はウグイス 夏ホトトギス 昔ながらの竹の園
竹の御杖に枝葉が栄え 今は越後の七不思議