歳時記は語る
●霜  月●
歳時記タイトル
 小春日和に交じり、時折、木枯らしの吹きすさぶ季節。10月に出雲に送り出した氏神様や山に戻った田の神様はどうしているのだろう。11月の風習には、移動する神々をもてなす心意が見える。


石川県鹿西(ろくせい)町の「ばっこ祭り」では能登部神社に還御する道中笛を奏で、言語を禁じられる

新潟県長岡市の金峯神社「王神祭」では、神官が魚に手を触れずに鮭をおろす

石川県能都町の「イドリ祭り」は、もちに非難の応酬が続く

石川県輪島崎町「エビス講」では、海から帰るえびす様を各家の主人が出迎える
 11月は各地の神社で神楽を奏上することが多いため、別名「神楽月」と呼ばれています。全国的に見ると、秋田県保呂羽山波宇志別 (ほろわさんはうしわけ)神社霜月神楽、長野県遠山霜月神楽、愛知県設楽(したら)町霜月神楽、宮崎県高千穂夜神楽など、大きな祭りが行われています。田の神は春に山から降りて田を守り、冬に入ると再び山に登って山の神になりますが、柳田国男は『年中行事覚書』の中で「刈り入れ直後の祝いの日に、すでに田の神のお帰りを送った地方でも、なおもう一度この霜月の祭りの日を、何もしないでは過ごすことができなかった」としています。霜月神楽は出雲や山から帰ってきた氏神様をもてなすためのものなのでしょうか。
  江戸時代、歌舞伎では11月の興行を「顔見世狂言(かおみせきょうげん)」といい、一年の始めの月として重んじていたといいます。新潟県長岡市蔵王町金峯(きんぷ)神社で行われる王神祭(おうじんさい)の年魚神事では、神官が鮭(さけ)を金(かな)ばしと包丁だけで調理し、鳥居の形に切って供えます。この鮭は雑煮となって振る舞われるため、まるで新年を迎えているようです。この神社の祭神は出雲から戻ったばかりの大国主命(おおくにぬ しのみこと)・須勢理姫命(すせりびめ)・奴奈川姫命(ぬながわひめ)の三柱ですので、出雲で大仕事を終え、新たな1年を迎える思いを表しているのかもしれません。
  石川県鳳至(ふげし)郡能都(のと)町鵜川(うがわ)の菅原神社では1日から8日まで秋祭りが行われ、7日の八講祭(はっこうさい)はイドリ祭りと呼ばれる変わった祭りです。イドリというのは「悪口」のことです。まず、1日には漂着神が初めて安置された伝承に基づき降神の祭式を行って、神を斎(いつ)く聖域を作り出します。2日までにもち米を集め、3日は水につけ、5日にもちつきをし、大鏡もち一重ね・トオシもち16枚・小もち60個を作ります。7日の夜7時、神社に参列した人たちはもちの形状・品質・色に至るまでイドり、参列者の笑いを誘って宮司の仲裁で収まります。この祭りには1年間の稲作の厳しさを笑い飛ばして神への誠意を示し、新たな幸いを招く意味があるのでしょう。
  石川県輪島崎町の輪島前神社では20日に「エビス講」が行われます。この祭りは1年間の海の恵みに感謝して冬の海の安全を祈って行われます。11月20日は「おかえりえびす」といってえびす様が海から帰ってくるといわれ、各家では主人が玄関先まで出てエビス像を出迎え、像にお初穂を捧げて祈ります。ちなみにえびす様が海に出るのは1月10日の「おでましえびす」で、1年間の豊漁を祝います。えびす様が海へ出たり陸へ上がったりするのはまるで山の神が田の神へ移動することを思わせます。
  このように移動するのは神様ばかりではありません。かつて、農家の奉公人が契約関係を終えて家に帰るのも11月の終わりころであり、冬の期間を除いた10ヶ月という契約が普通 だったので、2月ころが勤め始めになりました。これを出替(でかわ)りといいましたが、まるで神様の移動に倣っているようでもあります。それとも、神様も人間のように契約期間を解消して家に帰り、休暇を取っているのかもしれません。
新潟県民俗学会常任理事・高橋郁子