歳時記は語る
●神 無 月●
歳時記タイトル
 刈り取られた水田に快い涼風が吹く10月。農耕民族のわれわれにとって、収穫祭は1年で最も重要な儀式と思われるが、この月は祭りが少ない。「神無月」の名のとおり、神が居ないからである。


一宮神社のお箸祭り(新潟県塩沢町)

神棚とは別にエビス棚を設ける民家も(新潟県塩沢町)。エビス様は足が不自由なためおあしが出ない、すなわちお金がたまるという意から福の神・商人の神になったとされる

出雲大社での神迎祭)

奴奈川神社(新潟県糸魚川市)
 10月は神無月といわれており、全国の神様が出雲大社に集合する月と考えられています。そのため、全国の神社で神様を送り出したり迎えたりする行事が行われます。出雲大社は縁結びの神といわれているので、縁結びを願う人は神送りの日に神社に参拝して良縁を得るための願をかけます。神無月の行事は10月だったり1月遅れの11月だったりしますので、各地で神送りや神迎えの日が異なる場合もあり、10月31日に神送りをする所もあります。神様が行き来するときには「神荒れ」といって暴風が吹くといわれています。
 新潟県塩沢町大里の一宮(いちのみや)神社では、10月9日にお箸(はし)祭りという神事があります。ここに出雲へ行く途中の神々が集まるといい、大里の氏子の人たちが手分けをして箸を用意します。まず主人となる一宮神社の神様用の箸は、大きいものが三膳(ぜん)。お客様となる神様用の箸が225膳で、ヌルデの木で作られ、新米とともに神前に供えられます。
 この神送りの月に、エビス様や亥(い)の子神など、出雲へは行かずに留守を守る神様もいます。エビス様は別名蛭子(えびす)神といって、体が不自由で出雲まで行くことが困難なので行かないといいます。また、その出生のいきさつから、神の数に入らない神といわれているため、ほかの神様が出雲へ行く留守の間に、大っぴらに祀(まつ)ってもらうのだといいます。
 亥の子神というのは全国で信仰されている神様で、十二支に当てはめられて十番目の亥に当たる10月10日に行事が行われます。東日本ではこの日を「十日夜(とおかんや)」といい、「案山子(かかし)の祭りの日」「野菜の年とり」など、農作にかかわる日としています。また、「大根の年とり」ともいい、大根が唸(うな)りながら大きくなるのでこの日に大根畑に入ってはいけないといわれています。ほかの月の行事ですが、大根の中でも二股(ふたまた)大根は「大黒様の嫁」として大黒様に供えられます。神前に供えるものは米や餅(もち)が中心ですが、このように大根だけを供えるのは月見に芋(いも)や豆、ススキを供えることと同様に、日本に稲作が伝わる前の収穫祭の名残りであるようにも思われます。
 出雲へ行かない神の中に諏訪の神・建御名方命(たけみなかたのみこと)がいます。諏訪の神は蛇体のため、ほかの神が驚くので行かないといいますが、国譲りのときに天照皇大神(あまてらすおおみかみ)に戦いを挑んだため、父の大国主命(おおおくにぬしのみこと=出雲の神・大黒様)から勘当を言い渡されたのだともいわれます。また、実はエビス様は蛭子神ではなく、大国主命の長男の事代主命(ことしらぬしのみこと)だという説もあります。出雲では10月を「神在月」と言いますが、これでは出雲の神が故郷に戻らないという奇妙なことになります。大国主命が天照皇大神に国を譲った話は、出雲政権が大和政権に滅ぼされたことを暗示すると考えられています。けれども大国主命の名声を否定することのできなかった大和政権は、その死後には彼を祀る出雲大社に立派な拝殿を建立したといいます。
 出雲は越の国とも結びつきが強く、諏訪の神は糸魚川市の奴奈川(ぬながわ)姫と大国主命の御子(みこ)で、北陸一帯に祀られています。国を譲って冥(めい)界を司る神となった大国主命は、縁結びも担当するようになりました。全国の神々が出雲に参集するという神無月は、伝説の中の話になっている、いろいろな歴史の残存でもあるようです。
新潟県民俗学会常任理事 高橋郁子