牛乗り式で豊作を祈って矢を放つ赤面の若武者 |
農耕の神の化身とされた牛は若者たちの力でつぶされる | |
端午の節供は大陸から伝わった行事ではありますが、日本にはこの行事を受け入れる古来からの信仰がありました。五月はサツキと呼ばれますが、「サ」は田の神を指し、田植えの月であることを示しています。この時期は「サツキ忌み」と称して家にこもり、田の神を迎えたり祀(まつ)ったりしたのです。後にサツキ忌みから端午の節供へと名を変えても、この日に田仕事をするのは禁忌となっていました。 端午の節供は田植えの準備や田植え後の慰労的な日となり、「節供働き」と言われぬように笹団子を食べたり菖蒲湯に入って体を休めるようになりました。「菖蒲」は「尚武」と音が一致することから、この日の行事は男児の祭りにふさわしいものに変わっていきました。吹き流しは「竜門を上れば竜に化する」信仰に基づいて鯉のぼりに発展しました。 富山県下村加茂神社では5月4日にやんさんま祭りが行われます。「やんさんま」は流鏑馬がなまったものであるといわれています。この祭りは走馬(そうめ)の儀、神幸(しんこう)式、神馬式、牛乗り式の後、流鏑馬式が行われます。馬は神の乗り物といわれ、馬を駆けさせて神の馬を定め、これを献じて神霊を鎮めるなど、五穀豊穣(じょう)を祈願する意味があります。 やんさんま祭りでは馬を駆けさせるだけではなく、牛を圧伏する奇祭・牛乗り式があります。赤面の大鼻に扮(ふん)した若武者が牛に乗り、青竹の大弓で矢を拝殿の屋根へ放つと、若者たちが農耕の神の象徴である牛をこの地にとどめようと悪戦苦闘の末、座らせます。牛は農耕の神の化身であると同時に火災を除け、疫病を抑える呪力を持つと信じられています。やんさんま祭りは端午の節供とサツキの信仰を併せ持つ貴重な祭りです。 端午の節供・5月5日は昭和23年発布の「国民の祝日に関する法律」により、「子供の日」となり、国民の祝日として祝われるようになりました。
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文 高橋郁子
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