歳時記は語る
●皐 月●
歳時記タイトル
 若葉もえる山々と水の張られた水田。霞たなびく空に極彩色の鯉(こい)のぼりが映える。この時期には鎧(よろい)や兜(かぶと)を飾ったり、相撲や凧揚げを競うなど、勇壮な行事が多い。生産活動を始めるころの節供行事には、どんな意味が秘められているのだろう。

流鏑馬式
「やんさんま」での勇壮な流鏑馬式。人馬一体の妙技に鎮守の森は大歓声に包まれる
 5月5日は端午の節供・子供の日。皆さんはどんなふうに過ごされましたか? ちまきや笹団子、かしわ餅(もち)を食べたり、菖蒲(しょうぶ)湯に入ったり、男の子の居るお宅では鯉のぼりを立てたことでしょう。
 端午の節供は流鏑馬(やぶさめ)や曳山(ひきやま)など勇壮な行事が行われるため、男児の節供という性格が強くなっています。これは中古、端午の節供に武徳殿で宴を催し、騎射(うまゆみ)行事を行ったのが起源であるといわれており、武家社会への移行とともに一般の神社でも流鏑馬が広く行われるようになりました。
 端午の節供行事には、中国からの輸入的要素が多く見受けられます。ちまきや船競争の起源として一般に挙げられるのは、楚の憂国家・屈原が水中に投身自殺したのを供養するため、竹筒に米を入れて水に投げて捧げたという説です。最近ではその起源はもっと古く、水神や龍神を祭祀(さいし)するものだったのではないかといわれています。
 中国では5月を毒月と考えていました。この毒気を払うため、強い臭気を持つ菖蒲や蓬(よもぎ)を用いていました。また、病気や厄災を祓(はら)うため、五色の糸をひじに掛けることもありました。現在、日本で飾られる五月人形の武者は中国の艾人(がいじん)(よもぎ人形)、吹き流しはひじに掛けた五色の糸に基づくものであると考えられています。
赤面の若武者
牛乗り式で豊作を祈って矢を放つ赤面の若武者
身清め
農耕の神の化身とされた牛は若者たちの力でつぶされる
 端午の節供は大陸から伝わった行事ではありますが、日本にはこの行事を受け入れる古来からの信仰がありました。五月はサツキと呼ばれますが、「サ」は田の神を指し、田植えの月であることを示しています。この時期は「サツキ忌み」と称して家にこもり、田の神を迎えたり祀(まつ)ったりしたのです。後にサツキ忌みから端午の節供へと名を変えても、この日に田仕事をするのは禁忌となっていました。
 端午の節供は田植えの準備や田植え後の慰労的な日となり、「節供働き」と言われぬように笹団子を食べたり菖蒲湯に入って体を休めるようになりました。「菖蒲」は「尚武」と音が一致することから、この日の行事は男児の祭りにふさわしいものに変わっていきました。吹き流しは「竜門を上れば竜に化する」信仰に基づいて鯉のぼりに発展しました。
 富山県下村加茂神社では5月4日にやんさんま祭りが行われます。「やんさんま」は流鏑馬がなまったものであるといわれています。この祭りは走馬(そうめ)の儀、神幸(しんこう)式、神馬式、牛乗り式の後、流鏑馬式が行われます。馬は神の乗り物といわれ、馬を駆けさせて神の馬を定め、これを献じて神霊を鎮めるなど、五穀豊穣(じょう)を祈願する意味があります。
 やんさんま祭りでは馬を駆けさせるだけではなく、牛を圧伏する奇祭・牛乗り式があります。赤面の大鼻に扮(ふん)した若武者が牛に乗り、青竹の大弓で矢を拝殿の屋根へ放つと、若者たちが農耕の神の象徴である牛をこの地にとどめようと悪戦苦闘の末、座らせます。牛は農耕の神の化身であると同時に火災を除け、疫病を抑える呪力を持つと信じられています。やんさんま祭りは端午の節供とサツキの信仰を併せ持つ貴重な祭りです。
 端午の節供・5月5日は昭和23年発布の「国民の祝日に関する法律」により、「子供の日」となり、国民の祝日として祝われるようになりました。
文 高橋郁子
 
笹団子
端午の節供に欠かせない笹団子
こいのぼり
こいのぼりの起源は厄除け(新潟県新穂村)