大河津分水路の桜並木で繰り広げられる「おいらん道中」 |
車田植えでは畔に座る人たちも一緒にはやし、田の神を喜ばす(新潟県両津市) |
で田ならしをする人 | |
「形見とて 何か残さん春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉」 良寛 長い冬が去り、桜の花がほころび始めると、山の雪が解けて川へ流れ出します。人々はその水を利用し、苗代作りや田打ちなどの農作業を始めます。そのため、桜の開花は「田の神が里に帰った」象徴となり、田を耕し始める目安と考えられました。 花見というと現代では花が咲いたころを見はからって、めいめい好きな日に行っていますが、かつては4月8日を卯月八日といって、この日が花見の日と決まっていたようです。卯月八日の行事は多様で、山の花を折ってきて家に持ち帰り、門戸に挟んだり竿(さお)に付けて門口に立てたりしました。新潟県の刈羽(かりわ)郡や三島(さんとう)郡ではこれを藤の花立てといいました。卯月八日は山岳修行の行者がその年に始めて山へ入る春山入りの日でもあります。山遊びといって山で花を見ながら飲食をしたこともあったようです。山へ入って花を折ったり飲食したりすることにはどんな意味があるのでしょうか。 田の神は秋に稲刈りが終わると山へ帰っていくと考えられています。山中は神聖な所で、祖霊(祖先の霊)が集まる所といわれています。4月8日の山遊びには祖霊を慰め、田の神様を里へお連れするという意味があったのかもしれません。田のそばに古い墓があることがあります。稲に宿るものが祖霊の魂で、その成長を見守る存在が田の神だったのでしょうか。 桜のサは田の神を表す言葉という説もあります。田の神は四国・中国地方で「サンバイサン」と呼ばれています。俵の蓋(ふた)を新潟県で「サンバイシ」と呼ぶのはそこからきているのかもしれません。佐渡の車田(くるまだ)植えでは、3人の早乙女(さおとめ)が3把の苗を中心に外側へ順に植えていきます。田の神はこの中心の3把の苗を目印に降りてくるといわれています。車田植えのときには田植え歌が歌われます。歌や踊りには神霊を喜ばせる力があり、稲の成長と豊作を願ったのです。 桜以外で田仕事の時期を知る手がかりとして、雪形があります。雪形は山に残る残雪の形をいいます。長野県の白馬岳は代かきをする馬の雪形が出るためにシロウマ岳と呼ばれ、それが変化して白馬岳という山名になったようです。雪形には農耕と関係の深い馬や牛、そして人の形も出現します。 人の形には、新潟県関川村にある(えぶりさし)岳の「(じい)や」など田仕事をしているもののほか、道祖神のように男女が並んだ形の日倉山(ひぐれやま)(新潟県村松町・三川村境)の「爺(じじ)・婆(ばば)」のようなものがあります。日倉山の方は、この雪形が崩れるまでにゼンマイ採りをするという教えがあります。 雪形には作業の時期を教えるだけではなく、その年の豊凶を占うものもあります。爺・婆という名称が多いことを考えると、これらを初めに発見した人は、いろいろなことを教えてくれる雪形を、山に住む祖霊からの伝言であると感じたのではないでしょうか。 このように、花見の宴は祖霊や田の神を供応して力をもらう儀式でした。現在ではそんな意味は失われていますが、今も昔も春の訪れを喜ぶ人の心は変わりません。私たちも桜の花を眺めながら、新年度の発展を祈りつつ、杯を傾けて歌おうではありませんか。
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文・新潟県民俗学会 高橋郁子
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