歳時記は語る
●弥生●
歳時記タイトル

日本人は真西に沈む太陽に霊力を感じてきた
 祖先が長い間守ってきた習慣やお祭りには、何かしらの理(ことわり)がある。季節とともに営まれる行事を尊重することは、その土地の風土を味方に付けることにつながるのではないだろうか。このところ日脚の延びを感じるが、最終回の今回は、お彼岸と信仰とのかかわりについて紹介する。


 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があります。彼岸は、昼と夜の長さがほぼ同時になる春分の日と秋分の日を中日として、その前後に3日間を加えた1週間をいいます。それでは、彼岸にはどういう意味があるのでしょう。
 彼岸というと、仏教行事というイメージがあります。「彼(か)の岸へ生まれることを願う」という意味で、彼の岸というのは此(こ)の岸(此岸(しがん))に対する世界です。此岸は煩悩の世界であるこの世のことで、彼岸は此岸を解脱した悟りの境地と考えられます。現世に対する浄土ともいわれます。彼岸の時期は太陽がほぼ真西に沈むため、西方極楽浄土の方角を人々に正しく知らせるために仏事を営むようになったと考えられています。彼岸には祖先の霊が帰ってくるといわれており、仏壇にヒガンダンゴを供えました。現在も彼岸にオハギを食べる風習は残っていますね。
 十日町市では雪で埋まっている墓の上に雪の墓を作ってお参りをしています。彼岸には入り、中日、送り日がありますが、新潟県内では子供たちがこれらの日に家の前で送り火、迎え火をたきました。彼岸の行事には太陽の運行が深くかかわっているようですが、ヒガンは「日願」ともいわれており、遠い昔には日迎え、日送りという行事があったそうです。
 また、新潟をはじめ北陸地方一帯に、彼岸の中日の入り日を拝むという習俗がありました。信心深い人は、めいめいに土手など夕日の見える所へ行き、入り日を拝みました。人によっては入り日が2つ、3つに見えたり、回転しているように見えたといいます。夕日が美しい日本海側だけの話かと思えますが、太平洋側の和歌山県や大阪府でも「お彼岸の中日の夕日から花が降るのを拝む」といいますから、日本に古くから残る太陽信仰が仏教と結びついて生まれた信仰といえそうです。
 農耕の開始時期に当たり、太陽が力を増すこの時期は、これから始まる農作業の無事を祈るのにもふさわしい時期でした。新潟県の中里村や六日町では彼岸入りを「早稲(わせ)」、中日を「中稲(なかて)」、送り日を「晩稲(おくて)」としてその日の天候や翌日の雪の降り方で作柄を占いました。
 新潟県寺泊町にある二面(にめん)神社では、このころに祭礼が行われます。この神社の祭神は今から600年ほど前に寺泊の浜に流れ着いた西洋の船の飾りといわれ、両面に姿が彫られているため、春と秋に祭られている向きを変えます。この祭りは寺泊町の漁協の方々が主になり、漁の占いを行います。この神を祭った人々は海の彼方(かなた)の理想郷から贈られた神様と思ったのかもしれません。
 海の彼方からやって来た神様といえば、石川県羽咋(はくい)郡羽咋町の気多(けた)大社の大己貴尊(おおなむちのみこと)は出雲からやって来た大国主命(おおくにぬしのみこと)です。気多大社では彼岸の時期に平国祭(くにむけまつり)が行われています。大己貴尊が羽咋へやって来て妖(よう)怪や大蛇を退治して国を平定したことを記念する祭りといわれており、祖先の歴史や海の彼方の国を思わせる、ロマンにあふれた祭りです。
 1年間、北陸の祭りや習俗をご紹介してきましたが、皆さまに幸いの訪れますことをお祈りしつつ、彼岸をもちまして連載を終了いたします。ご愛読ありがとうございました。

新潟県民俗学会常任理事 高橋郁子


海を望む丘の上に建てられた二面神社

二面神社のご神体。西洋人と思われる男女の姿が片面ずつ彫られている


平国祭では、3月18日に大社を出た行列が羽咋、七尾、鹿島地方を6日間かけて回る


平国祭での弓射の儀