歳時記は語る
●如月●
歳時記タイトル
 「鬼は外」「福は内」。節分の日は、町のあちこちで威勢のいい声が聞こえる。いかめしい顔をした鬼たちは豆つぶてに退散するが、豆まきにはいったいどんな意味があるのだろう。


法華宗総本山・本成寺(新潟県三条市)の鬼踊り
 節分の夜、お家で豆をまいたり、寺社でまかれる豆やお菓子を拾いに行ったりした経験はありませんか。暦を見ると節分の翌日は立春です。節分とは1年に4回ある季節の変わり目のことで、立春の前日の節分は二十四節気による旧年から新年への変わり目と考えられているため、最も重用視されました。そのため、節分前後には邪気を除いたり福を迎え入れるための行事が行われます。
 鬼にふんした者を追う行事は「追儺(ついな)」または「鬼やらい」といい、本来は大みそかの夜に行われる行事でした。ところが陰暦だったころは立春が正月にずれ込んだりしたこともあり、正月行事と節分行事に類似するものが生じてしまったといいます。
 節分に豆をまき、これを福豆といって、年の数だけ食べて幸福を願うのは、大みそかの年取り豆だった名残りとも、室内で模擬農事を行った予祝の名残りとも考えられています。1年間の農事にかかわっていたことを証明するように、かつてはこの豆を12粒拾い、炉の灰の上に並べて焼け具合を見て月々の天候を占っていました。
 節分の夜に出現する鬼は、厄を具現した姿とも、姿の見えない厄鬼を追う呪(じゅ)師の姿が恐ろしいので鬼と考えられるようになってしまったともいわれています。寺社では鬼にふんした人に豆をぶつけて追う行事がありますが、最近では人を集めるために有名人が豆をまく寺社もあります。
 この豆まき(豆打ち)や窓ふさぎは、夜のうちに鬼を完全に追い出してしまおうという、おまじないのようなものです。窓ふさぎというのは、豆まきをした後に戸を開けたてして鬼を出し、鬼が再び侵入してくるのを防ぐために鰯(いわし)の頭をつけた柊(ひいらぎ)を窓に挟むのです。鰯のにおいと柊のとげが鬼を除けます。これで厄は祓(はら)われ、すがすがしい家で新しい春を迎えられます。
 新潟県の東蒲原郡ではこのころ各地で鍾馗(しょうき)様が祀(まつ)られます。東蒲原郡鹿瀬(かのせ)町平瀬の鍾馗様は2月2日、集落の人によって作られ、護徳寺住職によって大般若(はんにゃ)経をあげて入魂式をします。鍾馗様の体となるワラは、地元の人が持ち寄ったものですが、例えば体の痛い所、治して欲しい所がある人はワラの束に病気の個所を書いて寄進し、鍾馗様のその場所にワラを入れてもらいます。これが病気平癒の祈願になります。出来上がった鍾馗様は村内のお堂に運ばれ、向こう1年村の守り神として厄災を寄せ付けぬよう、にらみを利かせます。鍾馗様といえば鬼も恐れる神様ですから鬼もひとたまりもありません。
 石川県珠洲(すず)市の白山(はくさん)神社では2月6日に「片岩のたたき堂祭り」が行われます。神前で生鱈(なまだら)を調理し、「爼(まないた)直し(直会(なおらい))」「カラチョウズの儀」を行い、最後に「ハナマイの儀」が行われます。神前で左右に分かれて対座し、両手に檜(ひのき)の枝で作ったたたききバイ(棒)を持ち、一斉に床・戸・腰板・柱などをたたき、鬨(とき)の声を上げます。歓声で悪霊を鎮圧する中をハナマイ(赤タブノキ)を捧げ、春耕を祈念して神前に突進するのです。このような祈りの行事の中、わたしたちにも明るい春が訪れます。

新潟県民俗学会常任理事 高橋郁子


節分の日はスーパーにもこんなイワシが


新潟県鹿瀬町平瀬の鍾馗様


護徳寺住職による入魂式


音を立て悪霊を鎮圧する珠洲市白山神社の「片岩のたたき堂祭り」