良寛講座 講座のレジュメをUPしました。お楽しみください。
全国良寛会理事 高橋郁丸
3 「良寛さまの愛と戒」〜詩歌などから良寛さまの人生観を考える〜
・貞心尼は小さいころ、どんな子どもだったでしょう?
・貞心尼が島崎の木村家を訪ねたとき良寛さまはお留守でした。貞心尼が置いていったものは?
・貞心尼は、もし良寛さまにあわなかったら…という歌を残しています。出会わなかったらどうなった?
・貞心尼は、また良寛さまを訪ねると言いながら、ご無沙汰した時がありました。
・良寛さまは「烏」というあだ名をつけられました。貞心尼は?
・良寛さまと貞心尼は「恋学問妨」という唱和(しょうか)を残しています。貞心尼は、恋のために学びの道を歩くのがつらい、と言っています。
・貞心尼が剃髪したのは、二十三歳でした。出家したのはいつでしょうか?
・先のことは仏さまにまかせる心構えの貞心尼。後のことはどうするのでしょうか?
・貞心尼が晩年に過ごした庵の名前は「ふぐあん」といいました。
・良寛さまは木村元右衛門の娘がお嫁入りをするとき、女性の心得としての戒語を贈りました。
・話をするときには気をつけましょう。戒語いろいろ。
・「気軽にしてはいけない」こととは?
・言っても仕方がないことは?
・良寛さまの兄弟子の仙桂和尚。若い良寛さまには理解できない人でした。どんな人?
・和顔愛語とは?
・「愛語」には、どんな力がある?。
・・・ページの中にヒントもちょっとありますが、どうしても気になったら連絡ください^^
良寛さまの詩と言葉
約束
うちつてに折らば折りてむ梅の花 わが待つ君はこよひ来なくに
事しあれば 事しありとて 君は来ず 事しなき時は おとづれもなし
国仙和尚(良寛様の師)の歌
捨てし身は 心も寛し 大空の 雨と風とに 任せ果ててき
真如亭即事(真如亭には良寛様の妹弟子・義堤がいた)
一鉢春に乗じてこの地に来たり
真如亭上 欄干により
蘆葉わずかに生し
水 藍をたたえる
桜は雪のごとく 柳は煙のごとし
仙桂和尚(仙桂和尚は良寛様の兄弟子で文化1年良寛47の歳に死去)
仙桂和尚は真の道者 黙して言わず
朴にして かたちつくらず 三十年国仙の会にありて
参禅せず 読経せず 宗文の一句 だにいわず
園菜を作って 大衆に共養す
当事われこれを見て見ず これに遇いて遇わず
ああ今これにならわんとするも得べからず
仙桂和尚は真の道者
貞心尼との歌
貞心 これぞこの仏の道に遊びつつ つくや尽くせぬ みのりなるらむ
※貞心尼は留守の良寛さまに歌と手まりを残しました。
良寛 つきてみよ ひふみよいむなや ここの十 十と納めてまた始まるを
貞心 君にかく逢い見ることのうれしさも まださめやらぬ夢かとぞ思う
良寛 君や忘る 道やかくるる この頃は 待てどくらせど おとづれのなき
貞心 ことしげき むぐらのいほに 閉じられて 身をば心に 任せざりけり
良寛 身を捨てて 世を救う人もますものを 草のいほりにひま求むとは
貞心 昔も今も うそもまことも 晴れやらぬ 峰の薄雲立ち去りて 後の光とおもはずや 君
貞心 君なくば ちたび ももたび かぞふとも 十づつとをを ももとしらじな
カラス
良寛 いづこへも立ちて行かむ明日よりは烏てふ名を人のつくれば
貞心 やまがらす 里にいゆかば子がらすも いざないてゆけ はね弱くとも
良寛 いざないて ゆかばゆかめど人の見て あやしからめば いかにしてまし
貞心 とびはとび 雀は雀 さぎはさぎ からすとからすなにかあやしき
恋学問妨
貞心 いかにせん 学びの道も恋草の 茂りて今はふみ見るもうし
良寛 いかにせん 牛に汗すと思いしも 恋の重荷を 今はつみけり
※貞心尼は良寛死後十年後の天保12年、柏崎洞雲寺(曹洞宗)泰禅和尚により得度しました。
※貞心 あとは人 先は仏にまかせおく おのが心のうちは極楽
良寛さまの教え
白雪に 道はかくれて見えずとも おもひのみこそしるべなりけれ
人は偽るとも 偽らじ 人はあらそうとも あらそはじ
偽りあらそい 捨ててこそ 常に心は のどかなれ