奈良見学記(日本民俗学会年会参加) もどる  平成13年10月6〜8日

 日本民俗学会年会参加のため、奈良に行ってまいりました。当日の朝は五時起きで、Maxあさひ300号に乗り、ひかり207号と乗り継いで京都へ。京都からは近鉄奈良線に乗って新大宮のホテルに荷物を預け、奈良県新公会堂へ向かいました。途中、友人から注意されていたとおり、車屋さんが声をかけてきました。にこにこしながら通り過ぎると、「もしかして、学会?会場まで行くよ」とのこと。会員の方々、かなり声をかけられたらしい。奈良公園を通ると、催し物の看板が立っている。「春日大社神苑行事案内 文化の日 舞楽演奏会 12月3日午後1時30分より約3時間 話題のアニメ映画『千と千尋の神隠し』に登場の「春日様」のイメージとなった面≪雑面≫をつけた舞≪胡徳楽≫登場」とのこと。神さまもかなりミーハーだ。鹿もたくさんいる。足元を見ると、ホカホカのコロコロがたくさん転がっている。おお、これが名物「鹿の○○」写真に撮りたいけれど、周りの目が気になって断念。新公会堂に向かう。

 受付を済ませてホール(能楽ホール!)に入ると、新潟県の鈴木昭英さんがいらっしゃった。私は一年坊主で心細かったので、図々しいとは思いつつ、横にへばりつく。昭英先生大迷惑。そうこうしているうちに能が演じられる。ポケッとしていたので演題を聞き漏らす。「船弁慶」と聞いたような気もする。でもちょっと違うみたい。よくわからないけれど、張り詰めていてとても良い。異空間に心が入っていくような感じ。そのうちにどんどん人も入り、公開講演が始まる。

公開講演テーマは「新世紀における民俗学の展望と課題」岩本通弥氏、野本寛一氏、伊藤唯真氏、岩井宏実氏の講演。四氏ともとても興味深く、参考になった。私の感覚は変だから、感想を書くと笑われそうですが一応。岩本氏。話し方が田村正和風で…内容も怖かった。でも、「『民俗は伝統。民俗は文化財。民俗は縄文の心』などのような話は地域おこしの人たちにまかせて、民俗学を志す人間は組してはいけない」というお話は心を打ちました。ボケッとした私なので、聞き方間違えたかも知れませんけれど…。間違っていたらごめんなさい。野本氏。噂のノモカン先生とはこの方か。「スイバ(好きな場所)シンポジウム」!あちこちで催してほしい企画だと思いました。総合学習の話で、新潟県朝日村小学校の赤羽さんのお話が紹介されたのもうれしい。伊藤氏。葬祭仏教…家制度が消え、一代限りの家が増えるとこれからどうなっていくのか。家からファミリーの民俗へ。考えさせられました。岩井氏。「妖怪と絵馬と七福神」が「世紀末三点セット」。そうだったのか。「妖怪は人の共同幻聴・共同幻覚・共同幻想である」「絵馬は御利益を人間が要求するもので、共同祈願だったものから個人祈願に変わってきた。現在は悩みの数だけ絵柄が増えている。これは悩みの『総合病院化』である」なるほど。

懇親会。会長さんたちによる鏡開きの後、宴会場に万歳現る。例によってぼけっとしていたので、どこの万歳なのか聞きそびれる。胡弓を弾いてる。鼓も叩いている。これはすごい。でも、食べなければ。昭英先生に逃げられてしまったので、新たな被害者を探す。桜井徳太郎先生を発見、へばりつく。出席の目的は桜井先生にお会いすることだったので目的達成。

桜井先生がお帰りになった後、しばらくおろおろとしていたが、新潟市の岩野さん森さんを発見、へばりつく。「新潟大学のOBで呑むのだ」と逃げられる。え〜ん、仲間に入れてよう。帝京大学の天野先生を発見、へばりつく。天野先生は私に鳥取の坂田さんを紹介してくださる。そのうちに会場は流れ解散。しかたないなあ、一人で帰ろうっと。と歩き出すと、昭英先生が途中まで乗りなさいとタクシーに同乗させてくださる。ありがとうございました。

 7日。帝塚山大学東生駒キャンパス研究発表会。テーマは12テーマ。80を超える研究発表があるので、どの発表を聞こうかと一応決める。私が拝聴させていただいたのは次のラインナップ。

地域結集の施設

市田雅崇氏の「民俗のなかの『歴史』―気多神社平国祭を事例として―」。私にとってはとても興味のある祭りのお話だったので、勉強になりました。特定の個人の歴史をつなげて一つの歴史を作り上げねばならない、個人的に結びつくものやしるしがなければ他人事になるということから、身近な存在としての地元の神の伝承が、江戸時代以降、気多神を助けたとか、気多神に属するものへと変容して行った、というお話は興味深いものでした。

風流と共同祈願

中川美穂子氏の「十九夜信仰と共同祈願―女年寄りの関わりを中心にして―」。長期にわたる綿密な調査が圧巻。本来供養念仏である十九夜念仏だが、ハナミという出産を願う念仏があることを指摘、「生と死をつかさどることができる人が隠居年代の女性ではなかったか」の言葉に私はしびれました。

藤森寛志氏の「三遠南信地域のミサキと祭文」。ミサキについて中途半端な知識しかなかった私ですが、「!」の連続。「牛頭天皇祭文」では忌避されるものであるミサキが「荒神祭文」では崇敬の意を含んだものとなっている。レジュメには史料として両祭文つき。お宝物のレジュメであります。欲しくったって、誰にもあげないぞー。

石本敏也氏の「会津地方における厄祓人形譚」。面白い逸話がありますね。よく短期間で聞きだせたなあ。でも、「会津地方」って何。新潟県人として、質問・異見がたくさんありました。同郷のよしみで省略。

橋本章氏の「供養田植の成立と太鼓田―広島県東部の事例より―」珍しいビデオを見せていただきました。佐渡のつぶろさしにそっくりな演者がいる!とびっくり。「供養田植」の存在を始めて知りました。「もともとなかったサンバイを資料などから発見、再発掘して登場させている」。なるほど。町おこしがからんでくると、全国的にそういう現象が起こってくるんだなあ。でも、ビデオを見たことでいろんな考えが頭の中をめぐる。橋本氏にはぜひ佐渡の車田植えやつぶろさしを見ていただきたい気がする。大勢の前で質問をする勇気がなかったので後をつける。陰険。

儀礼と墓制

細田ひとみ氏の「産小屋の母と子」。産後に産小屋に入ったという事例を紹介、「産小屋に入る時期」を検証。福井県での興味深い採訪結果を発表していただいた。私自身、現在Y町史で人生儀礼を担当しているのでとても興味深い内容でした。新潟では産小屋は見ることはできないと思いますが、他県へも行ってみたい衝動にかられました。かつて見た、某神社の内部の様子が、あまりにも細田さんが紹介してくださった産小屋に似ていたから…。

現代世相論

加原奈穂子氏の「伝統の創られ方―岡山名物きびだんごの事例について―」。岡山御出身の加原さんの桃太郎物語。日清・日露の戦争を背景として「鬼退治をした桃太郎」が英雄となったこと、商品としての「きびだんご」の発生等、きびだんごの歴史について紹介。今後、桃太郎と他地域イメージの研究をなさるということで、ますます楽しみです。

伝説と自然

牧田勲氏の「敵討伝承の成立と展開―奥州白石女敵討をめぐって―」。まったくの創作物語であったものが、郷土史家や観光協会などにより、以前はなかった景観まで整備して作り上げてしまったという事例の紹介。伝承はこうして歴史化されていく。私にとっては驚きの事実。

和田須三男氏の「天香山の蔓と毒流し漁法」。毒流し漁法はかつては村人総出の行事であり、その魚を神饌としたのだ、ということで、「魚毒蔓草は、その呪力ゆえに、神降臨の依代とされたのである」。蔓を巻いて神がかりをしたアメノウズメは猿女の海女の祖である。等、独特なイラストでワクワクするようなお話を展開され、私はその晩、あの姿で海中に没する巫女の姿を幻視してしまい、泣けてしまいました。

六車由美氏の「人身御供・人柱・食人」。東北学でお名前を存じあげていた六車氏のご発表でドキドキ。発表後の質問タイムで、六車さんの今後の抱負を聞くことができ、人身御供・異人論が出来上がって行くのだなあと思いました。実はホームページへも時々お邪魔しているのです。僭越ながら今後の展開を楽しみにしております。

と、充実の一日。昼食時、小銭がないことに気づき、学食で固まるハプニング。たまたま野堀さんが通りかかり、小銭を借りる。「すみません〜」と謝ったら「今に始まったことじゃない」。え…。私何かしましたか。本でも買って小銭作ってさっさと返そう。書籍展示会も充実している。歴史民俗博物館のブックレットを3冊購入。「親指と霊柩車」を見た担当の方が「あ、先生の本だ」。先生?後ろで常光徹さんがニコニコしている。「わ〜。サインくださいよぅ」。笑って応じない常光氏。桜井先生にお会いできなかったのが心残りながら、帝塚山をあとにし、東向商店街をブラブラ。奈良は鹿グッズがたくさん。なんと大仏様グッズもある。指人形など、鹿も大仏様も「お腹を押すと鳴きます」。お腹を押したらば大仏様が「ぴぃ」。いいんでしょうか。大仏様を鳴かせても。軒下に下がる身代わり猿が目につく。明日は庚申堂に行ってみよう。

8日。この日は学会主催のオプショナルツアーもあったのですが、電車時間の都合で単独行動。まず、庚申堂へ行こうと、もちいどのセンター街を歩いていると桜井先生とバッタリ出会う。これからオプショナルツアーに出かけるとのこと。ご一緒できないのが残念。お別れを惜しみつつ、庚申堂へ。途中、「史跡元興寺小塔院跡」というお堂を発見。額の地獄絵を撮影。お堂の柱によだれかけが縛り付けてある。これはなんだろう。最近は本来かける場所でないところによだれかけがかかっていることがあるということがわかり、気になっている。 

                                 ひ〜

            柱によだれかけ           お地蔵様〜。お救いください〜。         お前、こんなに悪い奴。

さらに歩いていくとあちこちに身代わり猿が下がっている家が目につく。五連のきれいな猿が下がっている。「奈良町豆腐店こんどう」というお店だ。店のディスプレイになっているんだ。さらに歩いていくと電信柱の前に小さなお地蔵様が祀られている。その反対側に庚申堂があった。立て直されたばかりのようで美しい。身代わり猿がたくさん下がっている。見ると猿の頭に元興寺の判が押してある。猿は元興寺の猿なのか。看板を見る。

                 庚申堂    たくさんの身代わり猿

『奈良町庚申』さんの由来 庚申縁起によれば、文武天皇の御世(700年)に疫病が流行し、人々が苦しんでいた時、元興寺の高僧護命僧正が仏様にその加護を祈っていると、1月7日に至り、青面金剛が現われ『汝の至誠に感じ悪病を祓ってやる』と言って消え去ったあと、間もなく悪病がおさまった。この感得の日が『庚申の年』の『庚申の月』そして『庚申の日』であったという。それ以来、人々は、この地に青面金剛と祀り悪病を持ってくると言われる『三尸の虫』を退治して健康に暮らすことを念じて講をつくり仏様の供養をしたと、この地に伝えられている」

『三尸の虫』退治 悪病や災難を持ってくるという『三尸の虫』は、コンニャクが嫌いだったので、人々は、庚申の日にコンニャクを食べて退治した。『三尸の虫』は、もう一つ猿が大嫌いだった。猿が仲間と毛づくろいをしている姿は、まるで『三尸の虫』を取って食べているような格好に見えたので『三尸の虫』は恐れをなして逃げてしまったという。そこで人々は、いつも家の軒下に猿を吊るして悪病や災難が近よらないように、おまじないをしているのです。(奈良町の伝説より)」

 

 近くで植木に水をあげていた女性よりお話を伺う。「昔は、このあたりは元興寺の敷地内で、庚申堂は元興寺のものでした。身代わり猿は、庚申の日に七つ作って庚申堂にお供えしました。昔の庚申堂はたくさん身代わり猿が下がっていて、七つのうち、一番小さい猿はもらってお守りにしていいといわれていました。今はもう、そういうことはありませんが…。庚申様は昔から七つのお願いを聞いてくれるといわれているので、お供えもニンジンとか、大根とか、七色のものを奉納しました。身代わり猿は家の守りが一つと、あとは家族の人数分作ります。昔は服のハギレで作っていたので、色も緑や青のものもありました。今は核家族や独居老人が増え、家族人数がわかる身代わり猿はあんまりよくないということで、最近は下げるのをやめてしまいました」身代わり猿のお話を伺ったあと、玄関先にいわしとヒイラギを縛った魔よけのようなものがあるのに気づく。三輪明神とある。三輪明神へ行くと一年中売っているらしい。一応、節分の魔よけだそうだ。正月に古いものを神社へお返しするという。もう一つは施餓鬼の御幣。お話を伺ったお礼を言い、奈良町資料館へ。この資料館は「身代わり猿」を商標登録したことで有名。ちょっと傍若無人では。入口に木戸があり、看板に「旧元興寺本堂跡(1,451年に炎上)旧元興寺の本堂がここに建っていましたが、1451の戦火により焼却(ママ)いたしました。その跡地に人々が住みつき『奈良町』になりました。町の住民は町を守るためにこの様な木戸を造り通行人を改めました。これが奈良木戸です」入場料無料。木戸をくぐって中に入ると「お手触れ料百円」と書かれた観音様が。「手足の痛む方 腰の痛む方 手術を受ける方 手術後の方 身体の悪い方 子どもに恵まれない方 安産祈願 元気のない方 手で静かに観音様に触れてください 庵主 ご寄進のお願い このとげぬき観音さまにご寄進をお願いします。毎日参拝できない方のために、館長が代理でお参りし、家内安全と無病息災の祈願いたします。ぜひこの機会にお申し込みください。ご寄進料は一金壱千円です。但し一年分。館内事務室で受付 館長」…あやしい…。でもこういうもの、嫌いじゃないです。館内には身代わり猿が販売されている。2pが1,000円。15cmが4,000円…。「この霊験あらたかなお守りは昔から門外不出とされ、永久保存のため国から当館に対して商標登録を認めてくれました」「『身代り猿』や『くくり猿』等に関する総ての権利は法律の定めるところにより、当資料館が正当に取得しています。もしこの贋物を作り、それを販売する等の行為をした場台は罰せられますので、ご注意ください」ちょっと釈然としない。信仰対象が商標登録というのはいったいどういうことなんだろう…。

 

 気を取り直し、元興寺へ。なんと世界遺産だ。極楽坊へ入ると花の活け方変わっているのが気になる。一本物の菊一対のほか、首だけにされた菊が四対。生け花はもともとお坊さんのもの。これも何か意味があるのだろうか。庶民信仰資料の展示室へ。南北〜室町時代に死人が出た家の門前に突き刺したという物忌札あり。「急急如律令」陰陽道の世界だ。「『木造玉眼地蔵菩薩立像』天文15年(1546)の前にあって、毎年8月23〜24日に執り行われる『地蔵会』にご祈願いたしました。御影ご自由にお持ち帰りください。身の周りの目上の位置に貼り祀られるかお守りとして丁重に折りたたんで護り袋に安置し身より離さないで護持するのも作法に叶っているかと存じます。御真言オンカカカピサンマエイソワカ」お賽銭を置き、御影をいただく。坊を出て、瓦が美しく見えるという浮図田(ふとでん)に立つ。そこに一本の棒杭が。「我国最初の百済瓦博士指導の瓦屋根を行基葺という」「百済(ペクチェ)葺き眼下の浮図(プト)田 桔梗(トラジ)咲け」と墨書あり。はて。浮図田とはなんだろう。看板に目をやる。「昭和63年修景整備で2500余基の石塔、石仏類(総称浮図)を、寺内及び周辺地域から集まったもので、新たに田圃の稲の如く整備した。云々」なるほど。小子房という建物に入る。蝋燭立ての意匠が変わっている。

                                                          浮図田

           

       角無くなって 老いらく。               鹿の運。                鹿グッズ。

 目的地、春日大社へ。鹿の角切り場を探す。鹿がたくさんいる。フンもたくさんある。さすがに休日なのでたくさんの人がいる。歩いていると「春日大社神苑落語会神苑寄席」のチラシをもらう。鹿の角切り場入口を見つける。正式会場名は「奈良公園内鹿苑角きり場」。主催は財団法人奈良の鹿愛好会。入場料600円。今年の角きりは10月7、8、13、14日の4日間。12時から15時までの間、30分ほどの角きりショーが行われる。入場券の半券を切り、角きり場内へ。たくさんの人がつめかけて鹿の登場を待っている。500人ほどだろうか。600円×500人=300,000円。300,000円×一日の回数×4日…。お金のこと考えるのはよそう。そのうちに3匹の鹿が角切り場に追い込まれてくる。鹿は興奮し、角を突き合ったりして会場をわかす。そのうちに勢子の人たちが来て鹿を追い、角に十字をひっかけて鹿を倒す。鹿は抵抗するが、杭に絡ませた縄が徐々に縮められ、地に倒れる。そこを勢子の人たちが押さえ込み、神官姿の若者により角が切られる。鹿はすぐに起き上がるが、頭が軽くなり、方向感覚がおかしくなるのかピョンピョンと飛び跳ねる。この間、まるで祭壇のように飾られた放送席から会場に解説、勢子への叱咤激励がある。あとでお聞きしたところ、角切りの前に春日大社の神主さんがここで祝詞をあげたのだという。老練の勢子さんに「練習はどんな風に行うのですか」と伺ったところ、「練習なんかしないよ。見よう見まねだよ。新人の勢子は鹿の尻たたきをするんだ」とおっしゃっていました。以下、チラシより

              

「角切りに入場料?」という人も。    角切り場。大歓声      角をひっかけられた鹿         角をギコギコ

[奈良の角きりの歴史]古都奈良の秋を彩る鹿の角きりは、角鹿が、町民に危害を与えたり、互いに付き合って死傷したりすることが多かったため、1671年(寛文11年)に、当事鹿の管理者であった興福寺が、奈良奉行の立合いのもとではじめたと伝えられています。当初は、町民が家の格子(鹿格子または奈良格子とよばれる)ごしから鑑賞できるほど、民家に近い町なかの所々で行われていましたが、昭和3年に、今の角切り場を設け、年中行事として開催されるようになりました。明治・昭和の戦乱期に一時中断されることもありましたが、320余年にわたり今日まで受け継がれています。角切りは、奈良の人々が鹿とともに歩んできた長い歴史の中で生まれた、古都奈良ならではの伝統行事です。

[解説]はちまきに、はっぴ姿の勢子たちが、角鹿を数頭ずつ角切り場に追い込み、「十字」(割竹を組み、縄を巻きつけた捕獲具)や、「だんぴ」(竹を輪に組み、縄を編んだ捕獲具)などを使って、荒々しく走り回る鹿の角に縄をかけ、これをたぐりよせ、あばれる鹿を取り押さえます。烏帽子、直垂姿の神官が、鹿の気を静めるために水を含ませ、のこぎりで角を切り、神前に供えられます。このようにして次々に鹿は捕らえられ、角が切られていきます。」

 

    祭壇兼放送席。「ほらほらしっかり がんばって」

 当初の目的はすべて終了、では春日大社を参拝して帰りましょうか。あ、そういえば春日大社の摂社・末社の中に「夫婦大黒社」という神様が祀られていたはず。祭神は誰だ。確認に行こう。祭神「大国主命様」「須勢理姫様」。ああ、残念。奴奈川姫じゃなかった。祭神は平安時代に出雲大社から神霊を迎えてきたのだという。「福の種子」を買う。本来ならば良縁成就をお願いするところだが、現在奴奈川姫さまを研究中の私は、神前で「勘弁してください勘弁してください」と祈るのみ。おみくじをひいたらば、「縁談・多くて困ることあり」。全く。人をバカにするのもほどほどにしてください。

 そんなこんなでいつまでも時間をつぶしていたものだから、いつのまにか電車時間がせまっている。大慌てで奈良駅まで急ぐ。さよなら鹿さん。さよなら奈良。                          以上、奈良見学記でした。

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