湯沢町三俣祭り 調査日 平成13年7月11〜12日 もどる
行列休憩中の舞踊の披露三俣は三国街道の宿場として栄えた集落です。お祭りの時の行列が華やかだと以前から聞いておりましたので、この夏、さっそく拝見して来ました。三俣集落内に四軒問屋と呼ばれるお宅があり(かつての本陣や脇本陣)、行列が休みます。祭り行列が休む時には舞踊が披露されます。祭り行列は12日です。順を追って祭りの様子を紹介いたします。
○宵宮(11日)
午後8時頃、祝詞が奏上されます。8時半頃から玉串が氏子総代、祭礼実行委員会の方々により奉納されます。その後、神楽(大和神楽)が奉納されます。演目は@祓い舞A鹿島B浦安の舞。浦安の舞は国の平和を表した雅楽の舞とのことです。
お参りに来る氏子は手に手にローソクを持ち、ローソク立に立ててお参りをします。
私の感覚からすると、とても新鮮だったのですが、これは祭礼では当たり前のこと。神様にお明しを奉納するのです。
午後9時半近く撤撰。
このときにお神酒を参列者に飲ませるのですが、お神酒の入れ物が趣があってよかったです。スプーンのようなものですくって杯に注ぎます。
子どもたちのお楽しみ
○祭礼(12日)
午前9時から拝殿にて神事がおこなわれます。開扉の儀で神おろしをします。そのあとお供えを並べ、祝詞、玉串奉てん、撤撰。神事が終了すると御神体が御神輿に移されます。神様が乗った神輿が加わり、神社から祭り行列が出発します。白装束の人が神輿を担ぎます。雨に祟られることの多い祭りだそうですが、昔から「神輿が出ると晴れる」と言われていたそうです。10時頃からはお巡りさんが交通整理を始めます。
神輿に移されるご神体
※神輿は江戸時代に京都から買ったものといわれる。船で日本海→信濃川→魚野川と運んだのだそうです。
※祭礼準備。三俣内で一区と二区に分かれていて、幟立て、カワラヤナギなど一年交代でしたくをする。
神社前の堀に立てられたカワラヤナギ
幟の先に萱(?)がつけられている
※踊りについて
踊り子は区ごとに何人かチームを作って踊っています。通年の「踊りの会」のほか、祭りのために三ヵ月ほど練習して踊る地区もあります。昔は民謡が多かったそうですが、現在は新舞踊で、各区の踊りの会の人が舞の先生を呼んできて習っているそうです。先生は五日町や神立の人だそうです。昔は青年会の人から踊りを習ったり、車に畳を敷いてそこで子どもが踊ったりしたそうです。昔は男の子が旗持ちをして女の子が踊りました。笛や踊りの屋台もあったそうです。かつては男性も踊っていたそうですが、現在は女性ばかりが踊っています。
三俣小学校は学校をあげて踊っています。当日は学校行事(総合学習)として祭りに参加しているそうです。高学年の子が振り付けをし、小さい子に指導しているそうです。大体2〜3週間の練習期間だったそうですが、大変お上手でした。今年は「明日があるさ」を踊ってくれました。
三俣小学校の皆さんの踊りの披露
※お旅所
昔は四軒問屋がお旅所だった。ここに神輿が休み、行列の人々が座敷に上がって飲食をします。そこで踊りが踊られました。神輿は逆さにした樽の上に花茣蓙を敷いた板の上におきます。樽の両脇にはカワラヤナギを立て、樽の周り四ヶ所に砂を盛ります。この砂は昔から清津川の川砂を持って来たものだそうです。きっとこれも魔よけのおまじないでしょう。
お旅所の前の神輿を乗せる樽。よく見ると四隅に砂が盛ってあります。
※獅子は「悪魔っぱらい〜!」と言いながらやってきます
二人ずつ二組の獅子が出ていました。各家で祝儀をもらいながら回っていました。男性軍は呑んで一升瓶を持ち、フラフラしながら回っています。家の前で森の熊さんの節で「それそれイッキッキのキー」と歌いながら一気飲みをしていました。
お獅子はみんなの人気者。頭を噛んでもらって厄払い
※お神輿のお帰り
午後2時、神輿が神社につくと、祭り行列の人々が手に手に竹の棒を持ち、神社をたたきます。 これは、御神体が神社を空けている間に悪魔が入り込んでいるのを追い出す意味があるそうで す。「やぁやぁ」「悪魔っぱらい」などといいながらたたく。神社の周りをたたきながら三回回ります。これは、とっても珍しいものだと思います。
ばしんばしん
○昔は祭礼の時に「歌舞伎」も行なわれたそうです。
○17日18日は長岡から神楽を呼んで山開きをしていたそうです。
○祭礼のご馳走はボウダラ、煮豆、ゼンマイ煮物です。おいしかったです!
高橋郁丸 記