★新潟地震四十周年記念★ 新潟地震御見舞控帳
昭和39年6月16日午後1時2分
 
 

十六日 晴天 気温普通

昼食後仕事中一時二分激震

(震度七、五)一家通りに逃出す

も眼前の道路割れ地下水

噴出し店舗のガラス四枚砕

け飛ぶ其の間五分其後

余震頻繁我家の被害、

下手店の柱根本五分程度上手に

移動基礎コンクリート数個所

亀裂壁二階、階下共亀裂

を生ず幸い家族皆無事

市内は昭和大橋裂壊八千代橋登降

坂大破一時不通川岸町方面鉄筋

コンクリ建築物列壊又は沈下駅前

ビルことごとく沈下傾斜駅も又沈下

鉄道線路曲り使用不能となる

川端町、山ノ下、沼垂、新潟下地区

の大半津波による浸水一、五米

に及ぶ電灯は当町内十七日

午後十二時復旧 水道は三十日

朝復旧 山ノ下昭石タンク火災に

より付近二ヶ町三百七拾戸消失



一 飯    三重
一 野菜   沢山
 〆
    戸頭 某氏
一 野菜   沢山
 〆
    天野 某氏
一 野菜   沢山
一 水    二十本
 〆
    松山 某氏
一 おはぎ  一重
 〆
    某氏
一 清酒 一升
 〆
    船戸山 某氏
一 清酒 一升
 〆

 

(控帳に添付されていたもの)

○震災安否電報
・親戚等五通

○震災見舞いはがき
・バンコク、伊丹市、東京(親戚)より
・多治見市、東京(知人)より
・カゴメ鰍謔
・和歌山県高野山 清浄心院より

○県米連総会中止の案内
・新潟県米連会長より 某氏

 

☆ この地震帳は、明治36年生まれの、米穀商であった今は亡き祖父が書いたものです。数年前に仏壇の中にあったものを見つけました。
 水や野菜など、なんだか微笑ましいですね。「新潟大火見舞帳」、というものも残っていて、そちらには「饅頭」なんて記述もありました。甘いものには目がなかった祖父を思い出し、笑ってしまいました。

 この几帳面さ、私には似なかったようです。(郁丸談)

郁丸滄海拾珠