いくまる十牛図         もどる

               私がこわれるとき・消えるとき

― こわれマンガ屋いくまるがこわれ者のみなさまにお贈りする傷心心象十牛図 ―

 

 

   

       

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 いくまる十牛図 

1 尋牛 

私は何かを探しています。でも、いったい何を捜しているんだろう。

見跡 

人に聞いたり本を読んだり。勉強してやっと手がかりを見つけたみたいです。

見牛 

足跡をたどったら牛を見つけました。きっとあれが探しているものに違いない。

得牛 

探していたものなら、自由になるはずなのに、なぜか牛は暴れるばかり。

5 牧牛 

やっと牛はついて来たけど、いつ逃げ出すか、ちょっと心配なんだ。

 騎牛帰家

牛が私を乗せてくれたよ!うれしくて笛までふいちゃった。

 忘牛存人 

旅が終わってのんびりしたら、美しい月に見とれて、牛のことを忘れました。 

 人牛倶忘 

牛を忘れたら、自分のことも忘れてしまいました。束縛するものは何もありません

 返本還源 

何もかも消えたら自然な姿が見えてきました。水は流れるもの、花は咲くもの…。

10 入廛垂手 

笑われる人に笑う人。自分も笑って笑われる。町の真ん中でありのままの自分を笑う

 十牛図は、禅宗の僧が「悟りとは何か」を考えるために描いた図です。一人の童が牛を求めて旅立つところから始まります。童は「自分自身」「不完全な自己」、牛は「真の自己」「完全な自己」だとか「自分が求める幸せの姿」だとかさまざまに解釈されています。

 十牛図については、たくさんの解説書が出ていますが、牛と人との関わりは、人によって考え方が異なりますし、同じ人でも気分によって、感じ方が変わります。十枚の絵を見てどんなことを感じましたか?

牛を手なずけようとしたり、手なずけて有頂天になったり、そんな絵を見てどう思ったでしょう?

六図の騎牛帰家は「自分」と求めていた「真の自己」が一体となる「悟り」の状態ですが、悟ったあとでまた変化が訪れ、何もかも消えてしまいます。その状態は、心を束縛するものがなくなったという状態なのですが、「全部こわれてしまった」。とも考えられるのです。こわれてしまった自分自身はどうやって再生していくのでしょう。八図から十図の間に、そのことが描かれています。

「自分自身」「真の自己」。人と牛の関係は自分の心を見つめるあなた自身です。十牛図を見て、あなたは何を感じましたか?十牛図を見ながら、あなたの心の状態をチェックしてみてくださいね。(=^-^=)V

written by 高橋 郁丸                         2002.5.31  「こわれ者の祭典」参加作品